吉村粉引の魅力
吉村昌也
「粉引の魅力 使って知る、違い!」
吉村粉引が、陶芸ファンや料理人、文人達の間でひそかに愛好、
愛用されるようになって10数年になる。人づてに、
次第にその噂が広がるにつれその輪は、画家、彫刻家、音楽家、
美術品のコレクター、建築家、評論家、美術館学芸員、画商などの
陶芸や工芸以外の芸術関係者<達にもおよび、
今やまぎれもない粉引陶芸家の名手として人々の知るところ
となり話題に上ったり、テレビの料理番組で作品が
映し出されたりすることも多い。
吉村粉引は、一度手にするとすっかり魅了されて、
又さらに欲しくなり、つい購入してしまうと
多くの吉村粉引を愛用する人たちが 語っている。
では、この魅力は一体全体どこからくるのであろうか?
吉村粉引の魅力は、第一に古い李朝粉引に見られる特徴を生かした、
そのなんとも深くて美しい白の釉薬の 仕上げにあると言える。
作家が、「巧み」といわれる多くの料理人達や
その道のエキスパート達から絶大な支援を受けるほどになっている今日、
これまで作家が惡戦苦闘して、この美しい白を生成させるまでに
積み重ねて来た困難な道程に思いを馳せると頭が下がる。
作家の身内に陶芸関係者は輩出していないし、
大学も東京外語大の仏文科と畑違いを専攻している。
商社勤めのある日、李朝陶器との偶然の出会いが
契機となり陶芸の道に入ってしまったのだ。
普通の陶芸家達より10年は遅い出発であるが、
作家の限り無い白へのこだわりと精進が、
今日、吉村粉引をおいて他にならぶもの 無しと言わせる程の
粉引の名手として、その地位を揺るぎないものにしている。
しかしその美しい白だけでは、多くの愛好者が
ここまで彼の作品にこだわることはなかったであろう。
吉村粉引のさらなる魅力は、その使い勝手にある。
使い込んで行く中に、部屋の空間や調度品に
ごく自然な形で美しく納まりがついていくのは
当然ながら、いつも思うのは、饒舌さや猥雑さとは無縁で、
無駄口をたたかず、作品自らは高貴な薫りを放ちつつも
決して他の物を凌駕するところが無いということであろう。
他の作家の作品では、よくありがちな、
押し付けがましい処や大仰な点を微塵も見せ無いところが、
なんとも嬉しいのである。
また、慣れ親しむうちにやがて形容し難いまろやかな
薄緋色に変貌をとげ、そこに注がれた液体の芳香と
味わいを深く、濃くする酒器や茶器のたぐい、
はたまた皿や、鉢高杯などにあっては料理を見事に活かし、
膳を盛りたてる 使い勝手の良い器としての機能を
十分過ぎるほど務めてくれる。
さらに花器や瓶の清楚な装いには、物静かな存在感が
そこはかとなく流れ、尽きない魅力がさらに倍加されて、
増々惚れ込んでいくというのが実情であろう。
かって詩人の小川英晴氏と共に作家の工房を訪ねたある日の事である。
愛用されるようになって10数年になる。人づてに、
次第にその噂が広がるにつれその輪は、画家、彫刻家、音楽家、
美術品のコレクター、建築家、評論家、美術館学芸員、画商などの
陶芸や工芸以外の芸術関係者<達にもおよび、
今やまぎれもない粉引陶芸家の名手として人々の知るところ
となり話題に上ったり、テレビの料理番組で作品が
映し出されたりすることも多い。
吉村粉引は、一度手にするとすっかり魅了されて、
又さらに欲しくなり、つい購入してしまうと
多くの吉村粉引を愛用する人たちが 語っている。
では、この魅力は一体全体どこからくるのであろうか?
吉村粉引の魅力は、第一に古い李朝粉引に見られる特徴を生かした、
そのなんとも深くて美しい白の釉薬の 仕上げにあると言える。
作家が、「巧み」といわれる多くの料理人達や
その道のエキスパート達から絶大な支援を受けるほどになっている今日、
これまで作家が惡戦苦闘して、この美しい白を生成させるまでに
積み重ねて来た困難な道程に思いを馳せると頭が下がる。
作家の身内に陶芸関係者は輩出していないし、
大学も東京外語大の仏文科と畑違いを専攻している。
商社勤めのある日、李朝陶器との偶然の出会いが
契機となり陶芸の道に入ってしまったのだ。
普通の陶芸家達より10年は遅い出発であるが、
作家の限り無い白へのこだわりと精進が、
今日、吉村粉引をおいて他にならぶもの 無しと言わせる程の
粉引の名手として、その地位を揺るぎないものにしている。
しかしその美しい白だけでは、多くの愛好者が
ここまで彼の作品にこだわることはなかったであろう。
吉村粉引のさらなる魅力は、その使い勝手にある。
使い込んで行く中に、部屋の空間や調度品に
ごく自然な形で美しく納まりがついていくのは
当然ながら、いつも思うのは、饒舌さや猥雑さとは無縁で、
無駄口をたたかず、作品自らは高貴な薫りを放ちつつも
決して他の物を凌駕するところが無いということであろう。
他の作家の作品では、よくありがちな、
押し付けがましい処や大仰な点を微塵も見せ無いところが、
なんとも嬉しいのである。
また、慣れ親しむうちにやがて形容し難いまろやかな
薄緋色に変貌をとげ、そこに注がれた液体の芳香と
味わいを深く、濃くする酒器や茶器のたぐい、
はたまた皿や、鉢高杯などにあっては料理を見事に活かし、
膳を盛りたてる 使い勝手の良い器としての機能を
十分過ぎるほど務めてくれる。
さらに花器や瓶の清楚な装いには、物静かな存在感が
そこはかとなく流れ、尽きない魅力がさらに倍加されて、
増々惚れ込んでいくというのが実情であろう。
かって詩人の小川英晴氏と共に作家の工房を訪ねたある日の事である。
昼食の為にと、さりげなく机の上に先生がご用意して下さった、
特別に奇をてらった風もなく形に愛想があるわけでも無いと
(未熟な私には)一見思われた一枚の粉引皿の向こうで、
折よく来られていた、吉村先生のファンであると言う板さんが、
酒の肴を手早くこしらえ、まな板からひょいとその皿に盛ると、
一瞬にしてその料理が、ぱあっと、光輝満ちたのは驚きであった。
そしてごく最近では、酒噐のひとつとして新に考案された麦酒杯にも、
又またいたく感服させられてしまうのだ。
私は、缶ビールのあの缶の臭いが気になって、
たいていビン詰めのビール を飲むようにしているのだが、
この吉村粉引の麦酒杯をもとめて帰るとすぐ、
味を試したいと冷蔵庫を探ったのである。
生憎、缶ビールしか買い置きが無い。
仕方なくそれをこの器に注いだ。
ところが、通常のガラスコップに注いだ時と異なり、
実に極めの細かい泡が立つのである。
おやと思いつつ ぐいと一息口に含む。
と、なんと私の嫌いな缶の臭いがほとんど消えている。
しかも舌先に滑らか。あのビア樽からつがれた時にしか
味わうことの出来ない生ビールの如くの芳醇な味わいが、
口腔に拡がるではないか!
こりゃ、ひと味ちがうぞ!!思わず口にしてしまった。。。。
その後は来客の度に、これを持ち出しては、
ビールをすすめ、ひとしきり「吉村粉引」談義の日々である。
勿論、ビンビールであれば尚さらの味であることは云うまでも無い。
目下この麦酒杯が、凄い人気で、制作が追いつけないほど
注文があるということも、うなづける。
こと程さように、吉村粉引は、愛用者一人一人の思いが
積み重ねられていき、ただ単に観賞用として
床の間に鎮座するだけに留まらない。
それは、吉村先生の求めるところが、形や色や重量などの技量が
及ぶところのみに過度に神経質にならず、
華美にも、奇を衒うことなどもなく、
ひたすら生活する人間の視点に立って、
おおらかな陶器本来の用の美と力を如何なく、
併せ持たせることに主眼を置いて心して
制作して来られたからに相違無い。
即ち、これが吉村粉引の神髄「使って知る、違い」というべきもので、前述のような広範囲に亘る分野の人達が、
これまでそれぞれの吉村粉引との目を見張るような
思いがけない体験を胸に秘め、次々と密かに作品を収集愛用し続け、
さりげなく人に見せては、自慢したくなってしまう
所以があると思われる。
吉村粉引はこの一両年、その白の美しさに形、焼成、機能の点でも、
筆舌に尽くしがたい完成度の高い領域に入ってきたことは、
論を待たない。
吉村昌也先生と吉村粉引を敬愛するものの一人として、
是非皆様にも御愛用いただき、コレクションの枠を
増やしていただけることを切に願うものである。
吉村昌也 限定作品集「使って知る、違い」
●A4判 上製美装本 カラーとモノクロ写真40点掲載
●本文25ページ 参考資料文献など満載
●限定500部(限定番号入り)
●販売価格:一冊3300円(消費税込)梱包送料代600円
{参考作品}
上段左から「粉引盤」「粉引祭器・粉引大根台鉢他」「粉引酒器膳」
中段左から「粉引四方皿」「粉引麦酒杯」
下段「粉引片口」