「たまさかよもやま考」2014年以前

 <<2014年5月13日>>

 写真:ツルハナナス(つる放す→ゆるい結束?)
「ゆるい友達?」A先生とI君の時事放談:
2014年5月 画廊シェーネにて


I君:「最近NHKの番組「認知症の年寄り達の行方不明事件」
が報道されて以来、
このところ以前にも増して、にわかに老人達の行動を見守る知恵の番組が
テレビ各局で取り上げられることが多い気がするんですが・・・!」
A先生:「そうだね!私の知り合いでも、初期の認知症症状が
現れ始めていると思われる気になる独居老人が何人か居るし、
この年になってくると、もうすぐやって来る
自分自身の問題でもあるよね!」
I君:「ある番組では、こうした老人達が、悲惨な事故や事件に
出くわす
確率を減らし、安穏・豊かに暮らすためには、
「お金とゆるい友達」が有効な条件と結論付けしていたようですが、
どう思われます?」
A先生:「お金の有り無しが、安穏に暮らせるか否かはともかく、
確かに、たまに声をかけて様子を尋ねる位の「付き合い方」の
友人関係のほうが、互いに、気が楽なのだろうとは思うよね。
昔から毒にも薬にも成らない様な話や冗談を交わすことが、
存外「もう少し長生きして様子みようか!」って
ことになっているんじゃない!
I君:「そういえば、私は、アナログ人間なのでやってないんですが、
近頃、大学の友人から、しきりにFaceBookとやらに参加しろって
奨められめられるんですが、聞くところによりますと、
何か友人が、コメントするとその度に、いちいち「いいね!」とかなんか
答えないと関係がまずくなるらしいんですね!
なんかこれって、知り合い達の無事な様子を知る便利なはずの道具が、
かえって人間関係を気まずくしているようで、なんか変ですよね!」
A先生:「ある意味そういうことがあるかもしれないね!
私も、仕事の必要上パソコンは、使うけど、
LineやFaceBookはする気になれないね!
最近の男子大学生達を見ていても、昔ほど寝起きを共にしたり
何でも話したり、大酒飲んだり、とことん付き合って
高い目標達成のための異なる意見をぶつけ合ったり
主張を曲げずについには、
取っ組み合いの喧嘩をするなんて、どちらかというと
阿呆な硬派の人間関係を結ぶような学生は
スポーツ選手達でも少なくなったね!
皆ちょっとイケ面で、上品で乱れることも無く
「金持ち喧嘩せず」の呈で金太郎飴のようなどこを切っても
似た感じのする線の細いボンボンが多いよね!
「友人」という一言でくくって、本心では、互いに馬鹿にしたり
愚弄しているのに表面上平静を装っているんだね!
それには、FaceBookを利用して「いいね」なんて答えている位の
関係がさきほどの「ゆるい友達」の話に戻るけど、
平和で一番いい距離感かもね!」
I君:「なるほど!そんな程度でその道具を使えば、いいのかも知れませんね!」
A先生:「ただ間違っても、ある党の大臣経験者のように、
「私の友達の友達がアルカイダなんです!」なんて云わないようにね!」

<<2014年2月初旬>>

 安徳 瑛作「過ぎし日」油彩

「老い」
画廊 シェーネも、2014年の秋でで31周年を迎える。
幸運なことに、「銀座の画廊勤めの時からの延長線上のまま、
ずーと退屈しない毎日で、概ね大過なく、続けて来れた」という風な感覚で、
時の経過に、どうしても実感が湧いてこない。
自分が徐々に、しかも着実に、一年毎に、年老いているのだ
ということを忘れていた。
というよりも、そうした考えも起きない儘、安穏と過ごしてきたのだ。
既に、両親も、当画廊主がその感性に共感・ほれた画家・安徳 瑛も、
亡くなり懇意にしていただいてきた、旧い顧客も、故人になつて
しまった方が増えている。
覚悟のほどは、あつたとはいえ、身近に感じていたものが、
ある日突然消えて無くなることは、暫く、
寂寞の感致し方なく、日は過ぎる。
4年半前には、高校時代から続いて来た最良の友を、
不意に亡くした時は、
さすがの自分もかなり長期に落ち込んだ。
それでも、以前同様、毎日変化のあることに興味を持ち、
無い頭をしっかり絞り、新しい事に挑戦しだしたら、
どこに出掛けなくても、ただ夢中に、何時間も
そのことに集中出来る性格が幸いして来た。
毎度のことだが、こんな時、妻の言葉は、ほとんど虚ろに
耳から抜けていくため後で、必ずトラブルを引き起こすことになる・・・
以前と変わらない自分の儘、ノー天気に過ごして来たのだ。
最近、中学から大学までの「同窓会」の案内状がよく届く。
幹事に連絡を取ると、
また一人また一人と同窓会名簿から知る名前が消えている。
心に寒風がスッと過ぎて行く。、、、、
昨年、どうにもこうにも見難くなつてきた眼の白内障治療手術を
妻の執拗な薦めで、とうとう受ける羽目になって、
「自分も、もうそんな年になったのだ!」と否が応でも、
「老い」意識することとなった。
さらに申せば、
近頃、近所で出会う、明らかに、私よりもはるかに年上と思われる、
白髪の ( 我が家系は幸い皆、髪の毛に、白髪も目立たず量も多いので
両親に感謝というところか?)
ご老人達から親しげに声をかけられる。
決まって云われるのが「お元気ですね!精が出ますね!若いね!」
とほめられる。(?)
若者に「若い!」という時は、非難を込めて言う時だけだから、
褒め言葉として声をかけるのは、
自分と同じ世代と考えられているからだと思うと、
あまりこの褒め言葉を素直に嬉しく思わないのは、
私がへそ曲がりのせいだろうか?
毎朝、脂肪分や、体内年齢が表示される体重計で測定すると
15~20歳くらい実年齢より、若く表示されるので、
「ほっと」して勝手に悦に入っている。
そして、これが実年齢に近づいたら「要注意、危険の時!」と
自分に、よくよく言い聞かせている。
(2014年2月初旬、厳寒のシベリアのように吹雪く、画廊の主が
最も苦手な西東京の冬)



<<2013年11月9日>>


[ぴき、ひき、びきの歌] 何気に見ていたテレビから、「ぴき、ひき、びきの歌」というのが流れてきた。
何のことやら!と思っていたら10匹のカエルが水に飛び込む姿を数えている。
「1ぴき、2ひき、3びき、4ひき、5ひき、6ぴき、7ひき、8ぴき、9ひき、10ぴき」と
数えている。
はてな?と思った。「びき」と発音するのが3だけなのだ。
3と4は、「さん」「よん」と「はねるおん」読みであるのに
4の場合「4びき」とは言わず「4ひき」と発音する。
ちなみに、「1」「6」「8」「10」は、促音を使い「っ」が入るので皆「ぴき」と
発音する。
ひょっとすると、今まで私は、間違えて「4ひき」を「よんひき」と呼んでいた
のかもしれない。
正しくは「よひき」と言わなければいけないのかもしれない。
まあ大抵の日本人は、私と同じく「ヨンヒキ」と発音すると思うので、
外国人が日本語を学ぶ時に、こんな文法規則外の言い方に戸惑うのだろうと、
思って、暫く考えさせられた日であった。



<<2002年6月>>
“ 画廊シェーネに鳥の巣が出来るとき ”
(閑話休題)
 画廊シェーネの5月です!
窓の向こうで 新芽の薄葉が
光に揺れます!
梅の実も ぼちぼち
ふっくら ぷっくりしてきます!
心は,
なぜか 沸き立ちます!
 風が通ります!
鳥達の唄う 声色にあわせて木々の先が揺れます!
鳥達のふれる くちばしにあわせて
窓下のトタン屋根で何かが叩きます
コトコト ぴぴょっ ぴぴょっと響きます !
さきほどから
なにか 賑々しいのです
コトコト ぴぴょっ ぴぴょっと響きます !
  むくどりの ひなが二匹

黄色い口を開けています!
屋根と屋根が重なる狭い隙間に
小さな顔を出しています!
それにしても
うまい場所を
みつけたものです
大きく口を開いているのは
兄貴?それとも姉さん?
小さいやつは、わずかに頭を
出すだけです!
臆病そうに親の来るのを
待っています!
えさをくわえた 親鳥達は、
警戒しながら
小鳥達に近付きます!
二匹のひなは、
親の頭を飲み込むくらい
大きく 口を拡げます!
   ぴぴょっ! ぴぴょっ!  ぴぴょっ!
大きいやつが
小さいやつの 頭の上から 口を出します!
小さいやつも
下から必死に 口を出します!
おっとっと・・・いきおい過ぎて
大きいやつが
トタン屋根に 滑り出ます!
親鳥達の 餌付けの数は、
大口開ける 元気なやつに
集中します!
小さいやつも 、夢中に叫び
3、4に1度は
おいしい餌にありつけます!
親鳥達は、子供の様子を よく見ています!
親鳥達が、持ち寄るえさは、
毎度、種類が変わります!
毛虫の次は、ゆすら梅、そして花の蕾と!
小鳥達は、種を上手に
吐き出します!
小鳥達の栄養バランスは、 万全です!
小鳥達は、まだまだ
腹一杯には なりません
ぴぴょっ! ぴぴょっ!  ぴぴょっ!
食べるとまもなく
お尻を外に 差し出します!
高くかかげたお尻の穴から  ぴーと 糞を放つのです!
行儀が良いから
巣穴の中には 漏らしません!
それでも 時々親達は、
小鳥達の糞を くわえて
どこか遠くに 持ち去ります!
ぴぴょっ! ぴぴょっ!  ぴぴょっ!
小鳥達は 巣穴にもどり
静かに 親の
次の合図を待ってます!
かくして、画廊シェーネの窓下屋根は、
またたくうちに 白い糞、糞、糞
赤い実、実、実の彩りに 染まります
ぴぴょっ! ぴぴょっ!  ぴぴょっ!
日がな  小鳥達のさえ
ずりが 続きます!

   今日も、外は良い天気!

いつの間にか  窓下では、
小鳥が さらに1匹 増えてます!
今日の餌とり競争は、さらに厳しくなりそうです!
ぴぴょっ! ぴぴょっ!  ぴぴょっ!
来る日も、来る日も、夜明けと共に
日がな 小鳥達のさえずりが 続きます!
・・・・・・・・・・・・・・
そしてある朝、突然
さえずる声が、消えます!
窓下の鳥の巣に、もう あの小鳥達の勇姿がありません!
巣立ったのです!
私達の目覚める前に
・・・・
ひょっとして、あの小さなやつだけが
取り残されては いやしないかと
しばらく、眺めておりますが
どうやら、無事に巣立ったようです!
・・・・・・・・・・・・・・・
夕方が来ても 巣には、
もう 戻るものは おりません!
あの鳥達は、一体どこで
今夜を すごすのでしょう?
・・・・・・・・・・・・・・・
 今、画廊シェーネの窓下は、
6月の雨風に 晒されたトタン屋根が、
熱い日ざし受けています!
子鳥達の糞のかけらが
わずかに残るばかりです!
そして、私は
来年も きっと戻っておいでと
光る空を探します!

「画廊シェーネ 童話集1998年5月から」

<<2002年1月>>
 ヒエロムニス・ボッシュ作「快楽の園・部分」
「オランダ・デルフトからの通信}
今月は、洋紙修復家として高名な
谷村 博美さん(現兵庫県在住)に再び、ご登場いただきました。

2001年秋には、大阪国際美術館で 「洋紙修復の技法」
について講演されるなど、このところ多忙を極める
谷村さんの「オランダからの発信」です。
(原文のまま)
今回のオランダ滞在は八月の始めから十月の始めまででした。
さて、まずめぼしい展覧会のお話から入りましょう。
とはいうものの、今回、本当にここでご紹介したいのは、
ロッテルダムにあるボイマンス美術館で九月から始まった
“ヒエロニムス・ボッシュ展”のみです。
ヨーロッパでも本当に良い展覧会は、大抵秋に行われます。
ただ世界中から 人が集まるような大展覧会はやはり夏、
夏休みを利用して来てもらうためです。
このボッシュ展もそういう展覧会で、数少ない彼の作品を
かなりの数集め、さらに同時代の作品、またボッシュに影響を受けた
作品などを一緒に展示していました。
今世紀のものではジェームズ・アンソールやダリの作品が出ていました。
これはボイマンス美術館の独自性でしょうか。
十年余り前、私はここでも修復の実習生として三ヶ月働きました。
正しくはボイマンス・ファン・ベウニンゲン(Boymans van Beuninngen)
美術館という名で、ボイマンスとファン・ベウニンゲンによって建てられた、
古典絵画から現代美術に至る幅広いコレクションを誇る私立の美術館です。
ボッシュは、1453年生まれですが、時代的にはすぐその後に続く
ブリューゲルと共に、フレミッシュ絵画の最も初期に位置して、
恐らくその最も有名な作家と言っても
過言ではないと思います。人間性をえぐるような日常生活の絵も
ありますが、何とも神秘的で、不思議な想像上の生き物の
うごめく地獄の絵のみならず天国や、私たちの生きる
この世の有様も彼は絵にしました。
その頃のヨーロッパのごく北方にあたるこの地域ではキリスト教は
人々の頭の中では、まだまだ昔からの異教の世界と混ざり合った
状態だったのでしょう。
でも最も人に知られているボッシュの絵はトンネルの向こうに眩しい
明るい光が射し込み、手前の暗い丸いトンネルには天使たちに助けられて
そこに向かって宙を行く人たちが描かれている、あの臨死体験をそのまま
絵にしたような作品かもしれません。
もう一つ、私の帰国前に始まった小さな展覧会があります。
ヴァン・ゴッホのドローイング展です。ヴァン・ゴッホ美術館の
新しい別館、と言っても黒川記章さんのデザインで完成以来、
もう二,三年になりますが —
で開かれたものです。ヴァン・ゴッホ美術館のコレクションの全て
と言うことでしたが点数はごく限られていました。
ゴッホの調子が悪くなるというか、頭がおかしくなる時期、
エッと思うような稚拙とも思えるようなデッサンがありますが、
そういうのも出ていて楽しみました。
次回は「私が住み、私が働く美術館のあるデルフトのお話を」と
書きましたが、
どういう訳か今回は仕事はともかく、デルフトには住みませんでした。
実は何度も書きますが、王立武器軍隊博物館で働いていて、
今回いつも世話になる友人宅に問題があり、結局、デン・ハーグにある
兵舎に住みました。
兵舎というから男性しかいないバラックだなどと思わないでください。
現代、ちゃんと女性の兵士もいる時代です。豪勢ではありませんが、
女性用の棟に住んで、食事はカンティーンでした。
というと、また、「まずそう!」思う方がいらっしゃるかと思うのですが、
さにあらず。美味しくて、若い兵士たちを健康に保つ食事ですから、
ちゃんとバランスの良いお食事を、しかもワイン付きで、
たったの三百円か四百円で食べることが出来ました。
三年ほど前に、私のいる美術館で軍隊での晩餐会のメニューの
展覧会を開いたことがあります。二十世紀前半のものですが。
当時有名だった作家に晩餐会の度にメニューの装幀を依頼するのですが、
なかなか小粋なものが多く、メニューの中身はむしろ
大変贅沢なものでした。その時、決して軍隊というところは
無粋なところではないと感心したものです。
ちなみにこの展覧会はこの美術館の展覧会で
私が最も気に入ったものの一つです。
少し話が飛びますが、ちなみにオランダではつい二,三年前まで
徴兵制を取っていました。若い人たちは皆、高校を出ると一年か二年、
お国のために働きました。
北欧並に社会福祉の進んでいるオランダの制度とは、
今は終わったとはいえ、驚きますね。
ところで例のニュー・ヨークでの同時多発テロのあった時は大変でした。
もちろん兵舎にいたのですから。まるで戒厳令下のような緊張状態で、
兵舎の敷地は恐ろしく広いのに、正門以外全ての門は閉じられてしまい、
パスを兵士に提示するのもずっと厳格になりました。
というわけで、今回はちょっと変わった経験をしてきましたので、
美術のお話しとははずれてしまいましたが。
2001年初冬  谷村 博美 (デルフトからの通信)



<<1986年1月>>

「今年私は、、、」
世の中、物騒な事件が多い昨今であるが、
それでも、ほっと気持ち落ち着く清新な一時というものがる。

冬・・・・・
雪深い禅寺の凍てつく、まだ明けには遠い朝まだき、
剃髪した僧侶の洗顔する青い頭上から立ち昇る蒸気を見る時!
春・・・・・
三寒四温の続く日々、雪はもううんざりだと思って
戸を開けると
その音に驚いた小鳥達が飛び立つ際に、
積もった小枝の雪の舞う時!
小枝がしばらく揺れて見える時!
夏・・・・・
空の青さはどこまで続くのだろうと思う様な
夏にはめずらしい上天気に
洗ったばかりの真っ白な洗濯物が顔にふれて
思わずその柔らかな香りを知る時!
秋・・・・・
柿の木の実りが今年は小粒だなあと
眺めた木々の間の空が、
次第に帯状の橙々色に染まる時分に
遠くの豆腐売りのラッパの調子が
かすかになっていく時!

今年もいくつかの展覧会を企画して参ります。
ご覧いただく方達に清新なものを感じていただけることが
少しでも出来たらと思うのですが、、、、、、

1986年 画廊シェーネ 奥田 聰「今年私は、、、」
「東興通信」依頼投稿文より

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