「たまさかよもやま考」2019~20年
2020年11月15日
諦めない男 トランプ」
米国大統領選で民主党のジョー・バイデン氏に
破れたたことを、いまだにどうしても認めようとしない
ドナルド・トランプ氏をみていると
演出家三谷幸喜の「決して諦めない男」
『三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち』
という涙と笑いのシネマカブキと重なり、私なんぞは、
この先きっと滑稽な歴史上の人物話として、
三谷のような才能ある劇作家が面白おかしく映画化するに
違いないと思ってしまうのだ。
三谷の演出した物語の主人公は、日本人でロシアを
初めて見て来たと言われる「大黒屋光太夫」である。
私が、この名前を知ったのは、井上靖の「おろしや国酔夢譚」
という小説であり、まだ大学生の頃で、
興味深く一気に読んでしまった。
まさか大学を卒業して後、勤めるようになって、
ロシアという国に何度も訪れることに
なるとは、当時は露にも考えていなかった。
この小説の中で、大黒屋光太夫は、仲間と共に
江戸に向かうはずの回船が漂流して
ロシアの地に行き着くことになる。この地の厳冬の寒さに
耐えられず、次々と仲間が、死んでいくなど、
艱難辛苦の末に、最後に一人になっても諦めず、
およそ10年の歳月を経て、遂に女帝エカテリナ2世の
許しを得て日本に戻ることが叶えられるという話なのであるが、
私は、冬にこの国を訪れた時はいつも、
東京の会社にTelexで連絡事項を
送るために当時、唯一機器を備えた中央郵便局まで夜間に、
降りしきる吹雪の中を徒歩30分ほどの道を
モスクワのホテルから向かう時には、いつもこの酷寒の中で
光太夫の仲間達が充分な防寒具がない中で次々凍死したのも、
もっともな話だと思ったものだ。
ドナルド・トランプ、、、、!!これまでの米国の大統領史上、
極めてユニークで、大胆不敵、金儲けに余念なく、
潔悪い男が今後の米国史の中で、どのようにドラマ化されていくのか
せいぜい長生きして見てみたいと思うのだ。
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2020年8月11日
「宇宙ビジネス覇権争い」の行く着く先!
目下、地球上を俯瞰してみると、米国と中国の偏見と独断の覇権争いが
激化しているように見える。
「コロナ禍の世界の混乱」の渦中に隠れて、密かにことを進めている
中国が、一歩リードの様相ではある。
さて、目を宇宙に転じてみると、米露中の「宇宙ビジネスの覇権争い」が、
もはや様々な課題を抱えながら、熾烈である。
かつて米露を中心ととする、人工衛星やロケットの打ち上げは、
国家的プロジェクトとして称賛されてきたが、現在5000億米ドルに迫り、
20年後には、1兆7500億米ドルを超えるという超巨額のビジネスに、
日本を含む世界各国が、優秀な科学者達の
叡智を集め、遅れをとってはならないと官民問わず参画し始めている。
日本の民間企業でも、例えば、儲けることに関しては、天才的な鼻が効く
あの「ホリエモン」(堀江貴文氏)も、未だ成功には至っていないが、
並々ならぬ情熱を傾け、私財を投げ打って、死に物狂いで「宇宙ビジネス」
成功への夢の実現に挑戦している。
これまで米露に遅れをとって来た中国は、近年の経済成長により世界の富裕国に
のし上がり、一気に「宇宙ビジネス」へ巨額な資金の投下により、
今や、米露中の覇権争いという様相を呈している。
斯様な世界の動きのなかで、地球の環境破壊に影響をもたらす大きな問題が
浮上して来た。
各国が、打ち上げて、使用不可になり、捨てた人工衛星やロケットの破片、即ち
スペースデブリ(宇宙ゴミ)のもたらす危険性が国際問題になっている。
このスペースデブリは、大型バス位の大きな物から10cm位のものまで2万数千個
あるいは、それ以上、地上から確認できない微量なものも含めると無数あると
言われている。
それらが毎秒7-8kmという物凄い速さで飛んでいるのだ。
打ち上げたロケットも、もろにこれらにぶち当たれば、ものの見事に
破壊されてしまう。
正確な気象観測に寄与して来た観測衛星なども衝突の危機的状況にあり、
いつの日か、こうした衝突の結果、デブリが大気圏をすり抜けて
地上に落下して、とんでもない被害をもたらすかもしれないのだ。
本日は、今年一番の猛暑予想で、画廊 シェーネの庭から眺める空は、
雲ひとつ無い真っ青な空が広がっている。「故・画家安徳 瑛」を偲ぶ、
お盆を迎えて空から今日辺り舞い降りてくるかも、、などと、
のんびり見上げる上空でそんな
物騒なゴミが飛んでいるなどとは、思いもよらないのだ。
宇宙ゴミの多くは、大気圏突入時点で大半は、燃え尽きてしまうらしいが、
何事にも予想外の事件が起こるのが近頃である。
今、これらの宇宙ゴミを捕獲して回収し大気圏内に突入する時点で
燃え尽かせるなど
安全に処理する最先端技術の開発において、世界のトップを行く
日本の何社かのベンチャー企業が大きく注目されている。
太陽系宇宙の中で、唯一生命体が存在すると言われるこの貴重な地球を守る為にも
私は、米露中の「強欲な宇宙覇権争い」に徒らに巻き込まれて
疲弊することからは、一線を画しいずれにも与せず、
彼らの行きすぎた無謀を冷静に見つめ、技術立国たる
日本の特性を活かし、限られた予算の中で取るべき道と役割が
あるように思える。然るに、私は、宇宙の均衡が崩壊し、広い銀河系宇宙の
中にあるかも知れない
どこか地球に似た惑星に転生せざるを得ない日が訪れるまで、
永遠の地球存続のために、
研究を積み重ねている上記の「宇宙ゴミ処理企業」の地道な役割が
必要要件であるので
早期の成功への期待と応援を惜しみなくし続けようと思う訳なのだ。ただ、もしかすると、
人間に寄生して生きているコロナウイルス達も、
近頃の自然界の予想外の異常気象も、地球人の独断と横暴化が、このままでは人間達は
自ら首を絞め、絶滅し、彼らの生命も危ういと既に予知して、
命の叫びを上げているようにも思えるのだ。
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“美術と四季の庭の植物を楽しむ館と苑”
「故、画家 安徳 瑛を讃えるために!」
2020年4月10日
「眼に見えぬ大敵に侵されつつある人類を救える手立ては?」
今日、人類は、新型のコロナウイルスという眼に見えぬ強大な
化け物達の抜け目ない戦略、(即ち緩やかに忍び寄りやがて
次第に加速し気がつけば地球を席巻して)
手がつけなくなってしまっている。
人類がコツコツと積み重ねて研鑽して来た文明の力では、
もはや手の打ちようが無い。
話は、変わるが
私は、庭作業が出来ない日に、近頃はもっぱらAI相手に、
勝てない囲碁を打っている。気がついた時には自身の
置いた石が囲まれてしまって
もう一手が間に合わないという憂き目にあって結局敗北する。
AIという容貌が見えない相手は、疲れも見せず、
Deepラーニングという能力を駆使して、本日の私が
打った一手の癖を予測して、
毎日毎日さらに強くなっているようだ。
話を戻すと、ウイルスという通常眼に見えない
この絶対的な化物に対抗するには、AIに対する私ほどの
無力では無いにせよ
よほどの叡智を集合しない限り非力過ぎるのだ。
「人類絶滅の危機」の回避に向けて、一歩二歩と進めねば
ならぬ時であり
この体験を人類の後継者達のために今こそ地球上の叡智を
結集すべき時なのだ。
しかしながらこの後に及んでも、自国と自分達の仲間、
さらに自身の虚栄心と地位保全のために外見上の
見栄にしか思えないことを優先し
かゆいところに全く手が届かぬ、
軟弱で中途半端、優柔不断な権力者達の判断と
そして更にその周辺で自分への見返りの利益を目論む為に
後押しをする姑息な輩達が次々とテレビなどに登場して
声高に念仏のように尤もらしく呟くものだから
人類の行く末を心底懸念する叡智と警告を持って進言する
賢人達の声を揉消してしまっている。
今や、心根優しく良心を持った穏健人までを、
混乱と窮地に追い詰め、
他人に対して疑心暗鬼をもたせる羽目になってしまった。
結果、自身の保全のためにだけ行動するのが得策という
精神構造へと彼らの一部を変えてしまっている。
そこには、人類が追い詰められた時に発揮する精神の
向上へ進むという上昇志向と
浄清作用に少しも結びついていない。
本来、精神の昂進に密接な関係を持つ美術、音楽、文学、
演劇他様々な芸術、
体力向上と精神の高揚に結びつくスポーツなどが、
このような時代になると
真っ先に、「悪者、余計者」扱いにされて
封じ込められる運命になってしまった。
それは、例えばオリンピック一つをとっても、
ある時から、余りに「金儲け」
「経済活動の促進」などという「金権主義」を
正義のように標榜して、
人間本来の持つ自然に湧き上がる「心身活動の美」
を極限まで披露をするという目的を蔑ろにし、
金目当ての「欲」に溺れた連中の意図や政治的取引の
目論見通りに、強引に押し進めて来た結果、今
それに反発する健全な精神構造を持つ人々の逆襲に会い、
若干後退したような見せかけの「飴玉」の結論を導き出し
向けられた非難の矛先を「突然の事態」の責任に
転嫁していかにも正しい判断と錯覚させるように汚れた
口を拭ってしまった。
残念ながら、スポーツや芸術は、
今や「平和で緊張感の無い時代と地域」における
権力者とその追随者達のために、安寧な国家として納める
治安維持の道具であることが明白になってしまった。
スポーツや芸術が、人間の精神活動における重要かつ
時空を超越する強い力持ち、何者にも決して屈服抑圧
されるものでないことを我々は、
改めて噛み締める必要がある。
然るに
20世紀以降加速されて来た「物質主義」による弊害は、
トランプ米国大統領の「自国第一主義」を契機にさらに
増幅されて世界中の国々とその国民達までに拡がって
人類は、その甘言に調子に乗り過ぎている。
今度の新型コロナウイルスの蔓延は、今地球上の
人類が抱える我儘で不条理な諸々の活動と言動に対する
「壮大な宇宙からの人類絶滅危惧への大忠告」と
思えて仕方ない!
私自身も、この「外出自粛」の時間を好機と考えて
謙虚に自省し、何が人類を救う手立てになるのか?
平和が及ぼす精神構造とは何なのか?、と
考察してみたいと思う。
2020年3月7日
「もはや、この地球の人類は、他国民或いは、他人を
非難したり、罪をなすりつけたり、争ったり、虐待している時では無い❗️」
私は、ほぼ毎日テレビ朝日の「羽鳥のモーニングショー」を
見ていますが、感染症の専門家、医師、知見者、コメンテーター
などなどの日替わりの出演者達の厚生省に対するここ1ー2ヶ月の
辛辣な批判は、問題の新型ウイルスの感染予防法を知らない
多くの国民にとって真実の実態を知る一助となるもので
注視して来ました。
多くの優秀な厚生省の上級職員達は、(少なくとも自分達自身は、
これまでのキャリア、知識、経験、実績については、他の追随を
許さず、況や後ろ指を刺されたことなど幼い頃から一度も体験した事が無いのだ)、、と誇りを持って来ただけに、
今回、この番組の出演者達の
辛辣な非難を浴びてそのプライドを完膚なきまで、ズタズタにされて、
平気でいられる訳がありません。
もはや「逆鱗」を通り越し、この出演者達は皆、許すべからざる連中、
自分達の敵なのだという意識を持ったとしても不思議で無いのです。
だからツイッターを通じて「デタラメを言うな!」と声をあげたのです!
上級官僚たる彼等は、確かに優秀であり、これまでずーと勤勉な努力家で、
今回だって真剣、慎重に事に当たっているのです。上司からの指示命令に対し、
間違っても期待に添えないなどということは、彼等の自尊心が許す
ものでは無いのです!
ただ、少しだけ想像力と誰にも真似できない
新しいプロットを創造する能力に少し欠けているに過ぎないのです!
何故なら、長く続いた平和な右肩上がりの思考に慣れてしまって、
緊急時に必要なことは、何なのかを学習して来なかっただけなのです!
今の地球は、宇宙塵が集合して生成から45億年、人類の祖先が誕生して
約5億年といわれています。正直私は、近頃の自然現象の予期せぬ変化を
経験するたびに「金属疲労」という言葉があるように、
「太陽系疲労」が徐々に進んでいるのでは、ないのだろうかと思うのです!
私には、特別な予知能力がありませんので、ハッキリとは申せませんが、
せいぜい、孫乃至ひ孫の代くらいまで安穏に地球が、
継続していて欲しい!その時くらいまでなら地球を守るための事を
少しは、協力出来そうです!
然るに、人類にとって、パンデミックを引き起こしかねない未知の病敵に
敢然と立ち向かおうと苦戦している人達や、
コロナウィルスの発生源である中国と中国人を非難したり、
ましてや、不幸にも罹患してしまった人達を忌み嫌ったり、罵っても
何も解決しないのです!個々の国、個々の地域、個人だけの保身に走らず
地球の人類が、少しでも永続するために多くの知恵を結集すべき時なのです!
「サリャンカ」もどき
先日、日本で専門技術を身に
つける為に、修行している
ロシアの女の子が、
女手ひとつで自分を育てて
くれた故郷で一人暮らす多忙な
母親のために日本から
電気圧力釜を買って帰り、
いつも母親が時間をかけて
作ってくれた女の子の大好物
であるロシアの郷土料理の
ひとつ「サリャンカ」スープを、
短時間で作って見せて感動させる
シーンを見て
思わずもらい泣きした。
かつてモスクワに滞在していた折に、
ホテルのレストランで
よく食した「サリャンカ」の味が
思い出され「そうだ!あの柚子の
絞り汁を利用して酸味のある
スープを作ってみようと思い立って、
早速冷蔵庫にある食材を探り
「サリャンカ」もどきを
作ってみた。
あのロシアで食したものには、
コクの点で
到底及ばないとはいえ、
1時間ほど煮込んで作った割には、
いい味付けになった。
「1枚の食パンとヨーグルトで
あのロシアの朝食
「黒パンと酸っぱいスメタナ
(ロシアのヨーグルト)」を
思い出しながら
ゆっくり味わう、、、(#^.^#)
もちろん、生クリームも無し
ではあるが、酸味もコクも程々の
味となり、今の自分にはかえって、
もたれることもなく健康食の
感じで今日の寒さが
吹き飛ばされた様である。
因みに利用した我が家の
冷蔵庫の残り物の食材は、
以下の通りの貧相なものである。
:::::::::::::::::::::::::::
鳥の皮付き腿肉 100gほど
(ベーコンも豚のバラ肉も無かった
ので、まあいいか!って感じで利用)
玉ねぎ 半分
キャベツ 少々
白菜 少々
人参 小1本
トマト 小2個
セロリ 少々
ニンニク 少々
ローリエ 2枚
ウースターソース 大さじ1杯
トマトケチャップ 大さじ2杯半ほど
酒 大さじ2杯
水 350mlほど
砂糖 僅か
黒胡椒 少々
コンソメ 大さじ2杯
オリーブオイル 大さじ2杯程度(炒め用)
そして 柚子の絞り汁 適当
(計量せず味を見ながら
加えたので、、、)
、、、、こんな感じ
何故か、今宵は、体がポカポカしています!
ラグビーワールドカップ
‘凄いぞ桜ジャージーの日本チーム’
「念願の8強へ (プール戦の総括) 」
日本開催の今回のワールドカップでの
日本のプール戦全勝は、
今週の19号台風で甚大な被害を蒙った
日本各地の人々にも
大きな夢と希望と勇気を抱かせる
戦いぶりでした。
ラグビーファンのみに留まらず
老若男女も問わず、北海道乃至沖縄は
無論世界の果てまで、
日本チームの驚異的な大躍進ぶりは、
人々を興奮の渦に巻き込み、
一気に日本でも「ラグビー通」が
誕生し、日を追うごとに
熱気が膨れ上がっている今回の
日本開催ワールドカップを、
誰が予想したでしょう?
かく言う私も、まさかのプール戦
全勝など、思いも
よらなかったのです!
対ロシア戦は、世界ランキングの
差から
すると実力通りの結果で、
「まあそんなものだろう」と
平然としていました。
しかし、対アイルランド戦の勝利
以降、これは「ひょっとすると、」
という思いが強くなったのです。
過去勝率の悪い対サモア戦では、
後半まもなくモールからそのまま
押し込んでトライを上げた時、
そして、ゴールライン3-5m手前で
スクラムからの強力な相手の押し込み
攻撃に対しても一歩も引かず相手の
トライを、容易には許さず、
挙げ句の果てには、リーチマイケルと
姫野の連携プレーでジャックルして、
結果トライに結びつけた
シーンを見た時は、本当に涙が
出るほど感動しました。
対スコットランド戦では、もはや
日本チームの勝利は、揺るぎない
ものと多くのラグビーファン達は、
確信に近いものを感じ始めて
いましたが、その通りの結果に
結びつけた日本チーム
には、もう感服です。
スコットランドの必死の形相の
猛烈なアタックに耐えて、
スクラムや、モールでも常に
優位を張り、フォワード陣
バックス陣の強烈な連携プレーが
見事にハマり、強いタックルと
相手の間隙つく、速いパス回しで
タッチラインギリギリを
走り抜けて福岡等が、
次々とトライに結びつけたのは、
すごいの一言に尽きました。
具智元等、怪我人続出のこの試合は、
兎にも角にも壮絶でした。
後半は、スコットランドの猛攻撃は、
流石、決勝トーナメント常連国
だけあって、容易には、
勝たせてもらえず、
冷や冷やしました。
前回のワールドカップでは、無念の
最終戦対スコットランド戦惨敗の
結果を含め、決勝リーグに
進めなかった理由が、トライ数の
少なさ故にポイントを上積み
出来なかったり
世界の強豪国の強靭な体力に、
打ち負かされてスクラムや
モールで押し込まれて、
得点を与えてしまった
弱点を、この4年間の間に見事に
乗り越えてしまったのです。
これは想像するに、選手及び
スタッフ達一同、一丸となって
血の出るような猛烈な訓練を
繰り返し、練りに練った戦術を
克服して来た賜物と言えます!
さらに言えば、
前線のフォワード陣の
強い当たりから、確保したボールを、
流、田中等の司令塔を中心に、
早いパス回しによる展開で足の
速い、松島、レメキ、福岡らの
バックス陣が、
受け継ぎトライに結びつける
数々のシーンは、
「本当に素晴らしい!」
としか言いようがありませんでした。
もはや日本チームは、
正に世界の強豪国の仲間入り
となったと言っても
過言ではありません。
早くも気の早い連中から
「優勝」の二文字を期待する
声が聞こえ始めています。
いずれにせよ、
「One for All !All for One!」の
ラグビーの醍醐味を完璧に
実践している
日本チームの戦いぶりは、
今後世界のラグビーの
手本となることは、
間違いなさそうであります。
<<2019年9月28日>>
「孔子の言葉」
祝われているらしい!
(現在は、10月9日という説が
一般的のようだ、、)
ことの薀蓄をここで、私が申し上げる
必要も無いので、本論に移る。
孔子が晩年に振り返って言った言葉
『論語・為政』に「子曰く、
吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、
六十にして耳順う、七十にして心の
欲する所に従えども、
矩を踰えず」
私は、この言葉を中学生の時に、
知って以来、今日まで、歳を重ね、
この言葉の歳を迎える度に
脳裏にごく自然に浮かぶこの言葉の
呪縛から解放されず、
心乱されて来た!
それぞれの年齢が近づいて来る度に、
「自分の人間力、精神力は、
どの程度?、、、」と
いつのまにか、比較する癖が
ついてしまっていて、
常日頃の自分の言動に想いを寄せて、
遥かにその域に達していないことを
自戒し、自分を恥じつつ密かに、
心へこんで来た。
然るに、縁あって、この世に生を
得た者全て、成長とともに
自分が、あきらめない限り、
技術や知識は、努力と学習によって、
かなりの程度身に付くものではある。
人によっては、特別な才能を持って
生まれたことにより、
技術や知識が非常に卓越した者もいる。
しかしそれだけでは、万能ではない。
彼等の「奢り」「傲慢さ」「勇み足」が、
必ず邪魔をする
時が来るからである。場合によっては、
「小賢しい奴」として反感や憎悪を
生み出し、他人から疎まれ、
運が悪ければ、命をも失いかねない。
折角の才能も開花せず終焉を
迎えることになる。
かような人物は世にあまたいることは、
数々の歴史の人物伝を振り返えり
みれば明らかである。
不思議なことに、世間には、
必ず「技術」や「知識」に
勝る「黄金の知恵」を併せ持つ稀有な
人物と言われる人達がいる。
然るに、彼等のような
「超絶 知恵者」が、ユーモアという
センスをも、適宜適切に活用しつつ
繰り返し世に貢献し、自己を更に
研鑽し続けることで、
「徳」という人格が自然に身に付き、
次第に神々の「お気に入り万覚帳」に
記録され始めると
多くの人々から「崇拝」という
熱い眼差しが漸く向けられる。
やがて、神々の暮らす世界への門の扉が、
ゆっくりと開き、中へ導かれ現世の
身躯から幽体離脱する刻が来る。
もはや、有機的な生命体を
保持する必要もなく年齢を数える
必然性も無い永遠の刻が始まる。
正に酸素や炭素他の元素で構成される
宇宙の構成要素に
還元され、無意識の世界へと
昇華されていくのだ。
その存在の気配を感じるのは、
現世の人間達の
思いの強さだけなのであろう。
近頃評判のNHKの番組に登場する
「チコちゃん」の言葉を
借りるまでもなく「ボーと生きている」
平々凡々、尚且つ欲ボケし、
ロクでもない事ばかりしか脳裏に
浮かばない私のような人間は、
これから先幾つになったとしても、
孔子のように、「己の欲する所に
従えども矩を踰えず」とは、
絶対ならないから「地獄の閻魔」さんが
手ぐすね引いて、
待ち構えていることは
あったとしても、天からの迎えは
絶対来ないだろうと思うと、
少しの病痛で苦しむ時や、
闇夜の晩には、地獄への門が
大きく開き、そこへ吸い込まれて
行きそうな気分になって、
ハッとするのだ。
<<2019年9月911日>>
展覧会シーズン 「手土産」
いよいよ、巷間「美術の秋」といわれる季節が、やつて来ます。
そこで、かつて、長年付き合いの
ある画家の個展を見学した時の思い出話です。
この画家は、すでに数々の受賞経歴を持っていたのでかなりの知名度
もあり当然ながら、次々と画家と知り合いの人が、引きも切らず訪ねて
来ており、中には、明らかに上等そうな手土産
(おそらく画家の好物と知って持ち寄ったものなのでしょう、、)を
手渡している人もいます。
そんな中、明らかに当の画家仲間と思われる人物がやって来たのです。
ひとしきり画家に挨拶をしたが、自分は、部屋をぐるりと
見渡すだけで一向に作品を念入りに観る訳でもないのです。
先程までの人並みが引くと、当の画家に向かって
「お菓子なんかいくら貰っても、嬉しくないよねー、、」と、
自分の思いを強制的に当画家にも同意させようと、どう見ても
厭味にしか聞こえない口振りが、私の背中から聞こえてきたのです。
私なんぞは、不中用(ヤクザ)な性格だから、このような台詞を
聞くと、あんた、何をほざいているの?あんたのように、金銭欲の満々の
下心が見え見えだから、あんたの作品は、売れないんじゃない?
「手土産」持参したのは、今回は、手持ち不如意で購入は出来ませんが、
せめて画家に対する好意のお印です、、という事なんですよ!
本当にこれは、画家の渾身込めた傑作であると、感じれば、
コレクター達は、何としてでも、都合をつけて、コレクションに
加えたいと考えるのが普通ですよ!
時間がどうしてもつかないとか、病気だとかの理由で
止むなく観覧出来ない場合は、別としても
大抵は、少なくとも見には<行きます。初めから、
興味がなければ、行きません。然るに、手土産を持参してまで、
見に行く人に対して、貴方の考え方は、一人の贔屓を
失ってしまっています。その事に気が付いていない
貴方は、「よほどの阿呆とちゃいますか?、、、」と、
言いたくなってしまうのです!!
掲載写真:サギソウとカワラナデシコ
<<1919年5月26日>>
たまさかよもやま考「香水」
この季節、シェーネの庭は、バラ他、植物達の芳香に庭中、包まれている。
先日、ちょっとした出先で、よく話を交わす
知合いの小学校低学年の女の子と出会った時のことである。
この時、女の子が何気に取った行動で、私は、かつて観た
古い映画の香水に関するワンシーンを思い出した。
近頃様々な事件が多い中、大抵の親達が、子供達に、
たとえ知り合いと言えども男性に気軽に話しかけるのを
警戒するように(況や、娘なら尚更であろう!)教育されている
中で、この子は、いつも、私の名を呼び、屈託無く 愛くるしい笑顔で、
色々質問をしかけて来る。面白いので、私も、
よくよく出来るだけ正確に答えるようには、心掛けている。
その日は、いつになく私の身体にすり寄ってきて、
私の胸の下あたりに鼻を擦り寄せて、私の匂いを嗅いで、満足したような
顔をしていた。一瞬ドキッとしたが、冷静を装った。
私は、自分の身体から放つ香りにある時から注意するようになった。
その頃、確か、今は亡き名優「山村聰」もしくは「志村喬」の
主演映画だったように記憶しているが 定かでは無い。
もちろん映画のタイトルも覚えていない。
私が10代後半頃に見た古い日本映画のワンシーンである。
主演のその男が、部屋の薄暗い電灯の明かりの中で愛人と二人佇む中で、
「愛人」が香水をつけようとすると、その男が女に、低いしゃがれた声で
「香水をつける場所と付け方」について講釈するのである。
、、、、、
私は、香水の持つある種の艶かしい意味合いと、香水とは、
本来男が熟知しておくものなのだと、歪曲した理解をしたのだった。
微かに鼻腔をくすぐる香りには、心地良いものがあり、
今日までシェーネの庭でも、バラやハーブ類を始め沢山の良い香りの
する植物達を植栽し、育てている。
私の人生に於いて、香りは、切り離せないものである。
掲載写真:
1、ラベンダー:数は少ないですが毎年この場所で花をつけます
2、レモンバーム:バラが植栽されている地表部に、
手が付けられないほどあたり一面繁茂しています。
傍を通り葉に足元が触れますと香りが立ち上がります。